可能性主義論を提唱する準備として


4月10日よりこのサイトで私が主張していく主旨が「哲学論」に変わったわけですが、個人的な価値観、信条や生きかたの美学の建設をやめたわけではなく、第二の目的として、こちらの探究と研鑽、創造も今まで以上に行ってゆく決意です。

その中核としたい新しい価値観が可能性主義です。

可能性という概念についての哲学的探究が基盤となりますが、最終的に建設された姿を想像するに、哲学理論には成り得ず思想的なものになることが予想されます。何故かというと、可能性主義を「正」の論とすることになるからです。普遍的な理論ではなく個人的な価値観として提唱していく予定です。

まず可能性主義の、いちおうの、海図を作らねばなりません。海図で目的地を目指すということではなく、海図をアップデートしていくことで海図そのものが可能主義論になるイメージなのですが。

ひとくちに「可能性」と言っても、possibility の実現可能性は未来へ開かれているそのイメージをもつもので、potential の潜在可能性は内蔵(埋蔵)されているイメージをもちますし、probability という蓋然性は今回のテーマからは外れます。

或いは、近代から現代にかけてのプラグマティズムの哲学者らが唱えた可謬主義 fallibilism  にも言及しなくてはなりませんし、そうなると全体性理論 holism にも少し足を踏み入れなければならなくなります。

偶然性の問題も発生します。
「実現可能性」に内在する自由と秩序の問題も垣間見えます。
「潜在可能性」はロジックにならないのでは?とさえ今は思います。

過去について可能性を考察することの意義。未来について可能性を推測し良い方向へ可能性を広げるにはどうしたら良いのかとか。「時間」とのかかわりもあります。

なによりも、その可能性は自分(当事者)にとって良いことか悪いことか。社会にとっての善悪はどうか。起きたことを幸運と不運という「運」で測る方法について。可能性を考える際に生じる心の様相としての「うきうき」と「不安」。これら正負の相対的価値における「可能性」概念の考察は思想になり得るのか、今は未だわかりません。

そうした諸々の難問をどのようにクリアにし、地下1万メートルにまで届く杭を何本も打ち込んでいく作業は困難を極めそうですが、同時にわくわく感が抑えようがないほど楽しい知的活動です。これも可能性の一つですね。

単にふわっとした「自己と人間の可能性を信じる」「人間には無限の可能性がある」を唱えるだけの雰囲気的なスローガンは、直截に言えば私の趣味には合いません。地中の基礎部分をしっかり固めた理論でなければ、少しの強風ですぐに吹き飛んでしまい、あとかたもなくなります。

こうして書きながら、おおまかな「第一次海図」が頭の中にはイメージ出来てきたかなという感じです。

ビジョンとしては、理論の土台をしっかり築き最終的な海図を示して、「常に可能性をイメージすることには正の価値がある」という思想を提唱したい。

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