「日本」という個性(2)


「愛してる」

小林麻央さんの最後の言葉を海老蔵さんが公表したとき、胸が熱くなったかたが多かったのではないかと思います。私もそのひとりです。

私の世代では「愛してる」は世間のそこらじゅうに溢れていて、言葉にするにはちょっと照れくさいながらも、エーイ言ってしまえ!で言える言葉になっていました。おそらく団塊の世代の人たちまでは、歯の浮くような「愛してる」を、口から出す言葉としては憚られたのではないでしょうか。

現代のように幾つかの語義を「愛」という言葉がもつようになったのは、近年になってからのようです。

倫理学者の竹内整一さんは次のように述べています。

「ぼくはかつて一度も、誰かに対して“愛する”という言葉を使ったことはない」と言ったら、「え?」という、戸惑いの反応があった。あえていえば「気の毒に」、という表情でもあったようにも思う。

勤め先の女子大で、倫理学の講義をしたときの話である。いや、むろん人を恋したことも、好きだと言ったこともあるけど、と続けたら、なアんだという顔をされた。

(春秋社版 竹内整一著 『やまと言葉で哲学する』)

 

西洋の「LOVE」は、神によって「愛しなさい」と命じられたことから始まっているらしい。もともとの日本語の「愛す」は、「相手を大切にしてかわいがる」という用法で使われてきたと、同書では述べられています。心のうちで思うというよりも、外的な表現として使われた言葉という印象を受けます。

また、仏教は愛欲や愛執、愛着を人間の煩悩として悪いものとして否定しました。仏教の源であるインド哲学では、すべての感情を棄てることが悟りだとします。同書より孫引きになりますが、「キリスト教が伝来したとき、キリシタンはキリストの愛を「愛」と訳さず、多く「ご大切」と言った」(岩波古典語辞典) という歴史を振り返っても、仏教が広まった当時の日本では、「愛」はあまり良い観念ではなかったことがわかります。

 

では、愛ではなく、どのような言葉で現代の愛を表現していたのかについてですが、同書では以下のように解説しています。

近代日本人が、かつて使われていた「惚れる」「恋する」「慕う」といった言葉に代えて、「愛する」「恋愛する」という言葉を、高邁な、しかし欺瞞的な理念を込めてふり回してきたという批判としては重要な指摘である。

ちなみに、「ほれる(惚れる)」とは、「心が朦朧となり思考力・判断力などを失う」が原義であり、「思いをかけて心を奪われる」という意味である(『岩波古語辞典』、以下同)。

また、「こふ(恋ふ)」とは、「ある、ひとりの異性に気持も身もひかれる意」で、もともとは「君に恋ふ」と助詞に「に」で受けていたものである。「君」によって「恋」という状態にまき込まれたのだという原初の事態をよく反映している(「君に恋ふ」という用法は平安以降)。

さらには、「すく(好く)」とは、「気に入ったものにむかって、ひたすら心が走る。一途になる。熱中する」ことであり、「したふ(慕ふ)」とは、「下追ヒの約か。人に隠した心の中で、ある人・物を追う」ことである。

(春秋社版 竹内整一著『やまと言葉で哲学する』)

 

相手に直接面と向かって言えるのは、「好きだ」くらいなもので、「君に惚れた」「君に恋している」「君を慕っている」という文言はほとんど使わないと思うのです。内心を表す言葉ですよね。

特に、「慕ふ」という感覚が現代では薄らいでいるのではないかと感じますがどうでしょう。

大河ドラマや時代劇では「お慕い申しております」と文(手紙)にあったりしますけれども、上記の「人に隠した心の中で」を思えば、隠しとおすことが美しさであって、本当にそういう文があったのかどうかは疑わしいところです。

 

「愛される」より「慕われたい」と思うのは私だけでしょうか。

もっと言えば、私は、愛されたくはありません。

口から出る言葉で「愛してる」ことを表現されるよりも、言葉には出さずに行動で「慕われている」ことが解る(肌で感じとるわけですが)ほうが百万倍も嬉しいと思うのですが、いかがでしょうか。

「慕ふ」を大切にした日本文化というのは、とても知性的だと思います。

なんでもかんでも開けっぴろげにオープンにしていけば、それはそれは誰にでも解るし、誤解されないですむし、これほど単純なことはない。けれど、理解されなくてもいい、誤解されてもいい、美しくあるために隠すというなかに、知性の奥深さを感じるわけです。

 

古典で有名な言葉があります。

秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず

 

世阿弥の『風姿花伝』にある言葉です。

ここで世阿弥は、秘することに絶大な効用があると説きます。

それは、自分自身に対する矜恃というべきものと、相手に対する心理的効果の二つが大筋なのですが、いったい、650年も前に秘することの心理的効果を考えた人は、世界のどこにいたでしょうか。

「秘せずは花なるべからず」は、人を飽きさせないこと、好奇心を失わさせないこと、探求心を豊かにさせることという、知性的な人間の生命活動にミートするものです。

人間としてもそうですが、昨今、性的欲求について語られる文脈では、肉体的欲求に対象が集中しているきらいがあって、下等動物としてあけっぴろげに皮膚接触的欲求をはたすだけという単細胞的な議論がほとんどです。男性も女性も、秘すれば花、秘せずは花なるべからず、という、高度に知性化された性的欲求について解っていない人が多いことに驚きます。男性も女性も性的魅力がどんどん失われている世相を感じます。

私の知る限りにおいては、「秘せずは花なるべからず」という古典日本文化と同質の文化は世界のどこにもありません。深く考察すればするほど、相当高度な知性的美学です。すべてをあらわにしないということは、観客(相手)の想像心のなかに個人的に芽生える趣に、つまり観客の知性に委ねるという面では、フランス映画のエンディングの美学に重なるものがあります。

 

何が良い、何が悪いと白黒をつけて深い考察を反知性的にサボタージュする価値の単純化として、「秘すれば花なり」を絶対善だと言うつもりはさらさらありません。日本人が大切にしてきた歴史文化に気づき、わが身に宿し直すことは、心が少し、豊かになる気がするのです。

 

 

「日本」という個性(1)


寒さには弱いけれど暑さには強いと自信をもっている私ですが、一昨日と昨日の暑さにはわずかに頭痛も覚え、体から熱さが引いていかない自覚があって、ムムムと思っていたのですが、久しぶりに昨夜から今日にかけて13時間ほど睡眠を摂ってスッキリしました。我ながらよく眠ります。悪い奴ほどよく眠るらしいし。

 

さて。

「多様性を認める地球人類」というテーマが、一部の人たちにとっては目標化されていますが、それに反発しているのが世界的に起こっているナショナリズムへの揺り戻しです。

多様性=ダイバーシティという「一つの目標」は、その目標の画一化をもって多様性を拒否するという、別面でのパラドックスを抱え込みます。未だに日本にもいる欧米文化信奉者は、「日本は遅れている」と日本文化を相対化し、欧米文化のほうが遅れているのかもしれないとの想像を可能性の範疇に置きません。

そもそも「遅れている」や、「ついていけてない」という価値判断は完全な他律であって、しっかりした自律の足場を確立していない未熟性から生まれる判断がほとんどだと思います。欧米の方が優れているかもしれないという価値判断は良いのです。見習うべきは見習って昇華していくことは大切です。しかし相対価値化したことを忘れ絶対価値として妄信し、「日本は遅れている」などというのは、その人の浅薄な判断だと少し考えればわかるはずですよね。何も焦ることも卑下することもない。これは人生一般についても言えることだと思います。

 

地球レベルでダイバーシティの画一化が言われている今こそ、「日本」という個性が活きる時代なのだと考えます。ただそれは、政府のやっている「クールジャパン」という薄っぺらな形式を広めることではなく、日本国民である私たちのこころのなかに、「日本」という個性をもう一度、宿し直すことではないでしょうか。「日本」という国柄にではなく、ひとりひとりの「日本人」の人柄に、誇りと言っては大げさかもしれませんが、アイデンティティを確立していくことが自律であり、ひいては、世界で「日本」という個性を活かせることにつながるのではないかとも思います。

 

以下、西尾幹二さんのブログから引用します。

若い人に期待するのは日本の歴史を取り戻すことです。今、日本の歴史は正当に語られることがなく、ほとんど消えかかっています。しかしだからといって徒らに日本の良さを主張すればよいということではありません。日本を外から眺めることがまず大事です。若いうちに外国で暮して下さい。進んで留学して下さい。

 外から日本を眺めると、他の外国でどこでも普通にやっていることが日本にだけない、というようなことが数多くあることにきっと気がつくでしょう。だから、そこだけ外国に学び、真似すればそれでよい、ということではありません。むしろ逆です。外国からは学ぶことのできないもの、どうしても真似することができないものが確実に存在します。それは何か、日本の歴史の中にさぐり、発見し、そこを基盤にもう一度日本を外から見直して下さい。そうすれば日本の欠陥も、長所や特徴もより明確に分るようになるでしょう。

 外からと内からのこうした往復運動を繰り返して下さい。貴方はきっと歴史を知ることが自分を知ることと同じだということに気がつくようになるでしょう。

(『西尾幹二のインターネット日録』七月七日の記事「若い人への言葉」より)

 

西尾さんはニーチェにかんする日本での第一人者といえるドイツ哲学研究家であり、断片的にですが幾つかの書物を通じてさまざまなことを私に教えてくださっている恩人です。価値観について共感するところが多く、西尾さんの文章に接すると心が落ち着きます。

最近、お体の状態があまり良くないのではと心配するなかで投稿された「若い人への言葉」は、私には、日本を愛し未来の日本を憂う西尾さんの、たましいからの叫びのように聞こえました。

「日本の歴史を取り戻すこと」というのは、「真実の日本の歴史はこうだ」と主張することではなく、「歴史のある日本の良さを外に向けて誇る」ということでもありません。

日本にだけしかないもの、外国からはどうしても真似できないもの、そうしたものを、日本の歴史の中から掘り起こし、まさに「日本」という個性に気づくことなのだと思います。

 

遠く離れた外国から日本を眺めること。

私には観光旅行でしか経験がありませんが、その際にヨーロッパから眺めた日本の「感じ」は、世界地図の右端に細く存在している小さな国のなかで、ごくつまらない現実に右往左往しながら忙しく蠢いている日本人、欧米化が先進的だと信じる日本人、しかし本当の欧米文化ではなくマスメディアによって脚色された欧米、つまり歪曲された欧米文化(例えばジェンダーに関する感覚など)を本当の欧米文化だと妄信してしまっている日本人、欧米には無い深みのある和の文化に誇りをもたずかえって卑下し、無くそうとまで思っている日本人、言葉は悪いですが「井の中の蛙、大海を知らず」を、自分自身の内省として感じることが多々ありました。日本人のひとりとして。

地球を外から眺めることはなかなかできませんが、日本を外から眺めることは案外容易くなった時代です。空想でも同じではないかと思うかもしれませんが、自分がヨーロッパにいる現実感は、「旅行中にたまたま事故か病気で、この地で死に、日本という地に二度と還らないかもしれない」という心境とともにあります。日本国内にいては、「祖国」を感じようとしてもなかなか感じられないのではないでしょうか。

若い人はとにかく若いうちに冒険すべきです。

西尾さんが仰っているとおり、日本を外から眺めることと、日本の歴史文化を掘り下げることの反復は、価値観の遠近法として、価値のなかのマッチングによる閃きとして、新たな価値創造の土台づくりとして優れた方法だと思います。

 

 

きよきあかきこころ―純日本思想


『古事記』や『日本書紀』に見られる「清(きよ)き明(あか)きこころ」について、私はこの心が日本人の原点であると考えています。そして何よりも大切にしています。

清き明きこころを実践できているかどうかと自問すれば、まだまださっぱり駄目なのですが。

この言葉の中には、純粋な日本人の哲学が凝縮されて詰まっているように思います。

端的に言えば、「きよきあかきこころ」さえあればほかに何もいらない。

9文字に込められた純日本思想とはなにか、なにがこの言葉を創らせたのかを考えます。

 

倫理学者の相良亨(1921-2000)は次のように述べています。

キリスト教は、宇宙は神によって創造されたものであるという。そこには「つくる」論理が働いている。しかし、これとは対照的に日本の神話は、この世界を、なりゆく世界として捉える。内在するムスビ(産霊)の霊力によって不断に内発的になりゆく世界である。キリスト教的な「つくる」論理ではない、「なる」論理がここにはある。

日本人は、歴史を「つぎつぎになりゆくいきおい」とうけとる。それは、いいかえれば、「おのずからなりゆくいきおい」である。そこには、ことの本質、あるべき秩序の観念はなく、「おのずからなる」という「自然的生成の観念」が中核となっている。

(ペリカン社版 相良亨著作集 『日本人論』)

 

キリスト教的考えかたは、「外からこの大自然が創られた」であり、この考えかたはそのまま、「人間が自分の外に何かを創りだす」に転化され、「外につくる」という思想がヨーロッパ文明を発展させ世界のけん引役となってきました。20世紀が終わるまでは。

人間の心を創るのでも、外からの「宗教の教え」によって自分のモラルを高めてゆこうとする方向で、これはインドで生まれた仏教も、中国で生まれた儒教も同じです。

ところが古(いにしえ)の日本人(大和民族)には、大自然の中からニュートラルに人間が生まれてきたという、西洋とは全く逆方向の思想が根付いていたことがわかります。相良氏が述べているとおり、「できちゃった」んだから仕方あるまいと、その原因は常に内側にあるという思想です。

人間の心は大自然によって「成って」いるものであり、良いことをするも悪いことをするも、すべて内側から自然にそう「成って」しまうものとして捉えます。

国学者の本居宣長は、仏教や儒教の教えに対し、特に仏教批判が激しかったのですが、儒仏の教えは「大自然に摂理にそむき、外部から人間に強いるもの」であるとしました。

乱暴に言うのならば、こころにおいて結果から原因を考えるという合理性の放棄であり、内側と外側を対象化させた争い自体が無かった。例を挙げれば、「弱い自分に打ち克つ」なんていうのは全く考えられなかったわけです。

清き明きこころの成すがまま、これを最も貴い心のロールモデルとしました。

非合理ですが、清き明きこころを「つくろ」うとはしなかった。誰もがみなそうだという性善説でもありませんでした。ただ、ロールモデルがあっただけです。

その後の上代では天皇に対する臣下の忠孝の心として清明心は利用されましたが、江戸時代には「誠実(まことのこころ)」という違った形で清明心が現れています。

 

唯一の真理として、清き明きこころが素晴らしいと言いたいのではありません。

西洋もインドも中国も日本もいろいろ入り混じったカオス状態のなかから、新しい価値創造が無意識下で行われるのではないかと、そのように考えています。

ただ私的には、清き明きこころを核心に据えておきたい。

 

 

美しさを看(み)て、心が観(み)る


今年の3月は6年ぶりに寒い日が続きました。桜の木はそんなことなど意に介せず、花をつけていきます。

日本人は、春の桜にさまざまな心情を重ねます。美しさを感じとる感性が歓ぶ。そこから一歩踏み込んで情を混入する。わが身と重ね合わせることもある。しみじみとしてくる。

風情。情趣。

 

いま桜 さきぬと見えて うすぐもり 春に霞める 世のけしきかな

 

この歌は式子内親王が詠んだ名歌で、春の到来と桜の美しさ、そこから霞み観る世の中の全体感を素直に表現しています。

式子内親王だから、というのはあるんじゃないのかなと、そんなふうに少し思いました。

 

別の観点からもうひとつ。

江戸後期の儒学の大家、佐藤一斎の『言志四録』より引用します。

 

月を看(み)るは、清気を観(み)るなり。

円缺晴翳(えんけつせいえい)の間に在らず。

花を看るは、生意を観るなり。

紅紫香臭(こうしこうしゅう)の外に存す。

(講談社版 佐藤一斎著『言志四録』)

 

直観に敏なるかたには「看る」と「観る」の違いで一目瞭然だとは思いますが。

月を見て満ちた欠けただとか雲の陰に隠れただとか、そうした表層の美しさだけを楽しむのではなく、月とともに流れる空気と時間、一瞬に張りつめたものから悠然と流れるものまで、その全体感に「清気」を感じとる。

花を見るときには色や香りに注目するのではなく、その花が今まさに生きている、生きようとしていること、花にわたしたちと同じ「生意」を感じとる。

生きる力とはなにか。生きる欲とはなにか。

頭で意味を考えるのではなく、心が観る。

 

みごとに咲き、みごとに散った後、みごとに忘れ去られる。

 

 

 

「教育勅語」に縛られるな


日本の最高峰の議会である国会では、連日のように非建設的なワイドショー的話題に多くの時間が割かれていますが、いい加減にしてほしいと思います。

 

そのなかで出てきた「教育勅語」のお話。

稲田防衛大臣はどうやら、「教育勅語を復活させて道義国家を目指すべき」というふうに考えているようです。私的には、国難の際には天皇の臣下として皇道を守れという文言は憲法違反ではないのかなと思っておりますが、それ以外はごく普通のことで、教育勅語に頼らなくても学校や家庭で教えていることではないのでしょうか。

道義国家を目指すべきという個人的思想は自由だと思います。

道義国家は特に悪いことでもないですが、内容はほぼ朱子学と言ってよいと思います。朱子学は儒教の中でも保守的、封建的傾向があります。その是非は横に措くとして。

でもね、なさけないです。

戦前の教育勅語の精神を取り戻すとか、なんの進化も工夫もない。

 

佐藤一斎は『言志四録』で次のように述べています。(始まりの部分は後に吉田松陰がそのまま使っています)

道は固(もと)より活(い)き、学も亦(また)活く。儒者の経解において、釘牢縄縛(ていろうじょうばく)して、道と学をあわせて幾(ほとん)ど死せしむ。須(すべか)らく其の釘を抜き、其の縛を解き、蘇回するを得せしめて可なるべし。(講談社版 佐藤一斎著『言志四録』)

※経解 経書の解釈

 

簡単に意訳してみます。

過去に先賢が記した書物や言葉を解釈する際、せっかくの活きた智恵であるのに、それを釘づけにして鵜吞みにし、縛りつけるようでは偉大な道も学問も死んでしまう。先賢の智恵の固定化を解放し、自ら堅くなった頭を解放し、応用しようと自らの智恵を使って努力する。そうすることで初めて先賢の智恵が現代によみがえる。

 

稲田さんが道義国家を目指すと言うのならば、道義の大家たる佐藤一斎に習わないでどうするんですかと言いたい。

「教育勅語の精神を取り戻す」などということは道義の教えに反します。佐藤一斎に習うのならば、先賢の智恵(教育勅語)を縛りから解放し、現代の価値観を考慮したうえで未来の社会を想像しつつ、変革していかなくてはならない。そうして初めて教育勅語が活かされるということではないでしょうか。

 

 

「天」について


西郷隆盛は「敬天愛人」を座右の銘としました。

天を敬い人を愛するという、短く単純な教科書的意味でとらえて間違いはないのですが、天を敬うとはどういうことか、天とはなにか、人を愛するとは博愛主義なのかと、いかようにも掘り下げることができます。

『老子』でも『論語』でも、並んでいる漢文字は少ない。その少ない漢文字をどのように訳すかは、書き手の文脈だけでなく、読み手の文脈によって異なってきます。西郷が想う「天」と、私が想う「天」はおそらく違う。西郷の想う「天」はどのようなものだったのだろう。

 


 

道は天地自然の物にして、人は之(これ)を行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給(たも)ふゆえ、我を愛する心を以(もっ)て人を愛する也。

 

上記が西郷の「敬天愛人」です。

天を敬するというのは儒学思想なのですが、孔子が出る前からあった中国の古典的な宗教観で、天に対する信仰ともとれる。孔子はその宗教くささを取り除き敬天を儒学に取り入れました。

江戸後期に儒学の大家として活躍した佐藤一斎の『言志四録』を座右の書とした大西郷は、儒学から敬天を学んだと思われます。

他方、古来より日本にも「天」は、天照大御神などの「アメ」「アマ」に見られるわけですが、天照は太陽神であって天の神ではない。「お天道様が見ている」という言葉におけるお天道様とは太陽のことをいう。一方で「天皇」という言葉は中国の概念に由来すると言われています。

 


 

日本人の「天」にかんして、倫理学者の相良亨(1921-2000)が著書『日本人論』において大きくページを割いて解説していますが、時代によって、人物によって、天の観念にはだいぶ差があるようです。

 

西郷の最も有名な言葉。

人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手に己を尽くし、人を咎めず、わが誠の足らざるを尋ぬべし。

 

ここにおける「天」はどのようなものだと思いますか?

また、敬天愛人を標榜する西郷が、「人を相手にせず」と言っていますが、どう思いますか?

 


 

西郷はどうかわかりませんが、私において「天」とのかかわりは、自己内の二重性だと思うのです。自己内の理想を対象化させ「天」を造っている。もっと言えば偽造、ねつ造している。そうして「天」から見た自己を内省するための「材料」として天を活用している。

どうでしょう。

それとも天は、人間が想像もできないような神のごときでありましょうか。

 

「人を相手にせず」という部分についてですが、余計なことを言ってくる人だとか“負”の人を相手にせずということではなく、人よりも天をという優先順位の思想ということでもなく、ここでは天上天下唯我独尊のマイペース、超越した「上から目線」(苦笑)

「そういう人格も自分の中にある」ということで、時と場所を選んでの言葉だと私は思います。間違っているかもしれませんが、私の文脈で読んでいるわけです。

このブログでも時々私は「仙人モード」で、自閉的に書くときがありますが、孤独になって人を寄せ付けない、人を相手にしない、天を相手にするという境地は、生活の中で必要な時ではないでしょうか。一つの真理に収れんしたいばかりに、自分に整合性を強引にもたせるのはナンセンスのように思います。

 


 

最後になりましたが、「わが誠の足らざるを尋ぬべし」の、この「誠」こそが、日本人のまさに日本人らしさ。「清き明(あか)きこころ」です。断言します。

清き明きこころについては、また機会をあらためまして、深くゆっくりと感じつつ書いてみたいと思います。

「天」概念と「天」価値について、更に深く掘り下げた考察は私の宿題としておきます。

 

おのずからは心を尽くすことを求める


今日は昨記事のつづきです。「おのずから」について、相良亨(倫理学者 1921-2000)の著書より引用しつつ考察してまいります。

「おのずから」は、日本人の形而上にかかわる思惟の根底にあるものとして、さらに、本格的に考察されなければならない問題である。(東京大学出版会版 相良亨著『日本人の心』増補新装版)

相良は私のような心理分析からのアプローチからではなく、「おのずから形而上学」と「日本人の自然観」を区別しつつも、「自然観」からのアプローチによって「おのずから」の説明を試みています。正攻法だと思います。

元来日本人は大自然のことを、「天地」「万有」「森羅万象」「造化」などの言葉を使って表現してきた。それが明治三十年代から「自然」と呼ばれるようになったそうです。山川草木のことを私たちは「自然」と呼びますが、動作・運動としての「自然に」「自然な」という形容表現は「おのずから」で表すこともできる。

東京大学で彼の師であった和辻哲郎(哲学者 1889-1960)の言葉 「日本における究極者は不定である、否、不定そのものである」(『日本倫理思想史』)を引きつつ次のように述べます。

究極的なものが不定そのものであったから、運動と、運動において生々する物に、究極性がその背景として内包されてきて、いわゆる宗教的自然観を形成するのである。究極なるものは、万物において、その万物の背後のものとしてのみ捉えられるのである。

明治三十年代の出来事が伝統的自然観を反映するものであるとすれば、われわれの伝統的自然観は、まさに無限定な究極的なものの「おのずから」においてあるものということになる。自然をわれわれはそのようなものとして捉えてきたことになる。(東京大学出版会版 相良亨著『日本人の心』増補新装版)

少々難解ですが、日本人において世界(宇宙)のすべて=大自然の究極は無限定であり、常に形状を定めず不定である。その無限定で究極的なものが「おのずから」運動して「自然」となっているとし、さらに、無限定で究極的なもの=「おのずから」それ自体だと言うわけです。「おのずから」が、おのずから運動しているということを述べています。

ちょっともう少しイメージ化しないと私には掴みきれていない。

今日はここまでにして、彼の次の言葉で締めましょう。

 

「おのずから」に生きることは、「おのずから」の者として、自己の最も根源において生きることであり、それは「心を尽くす」ことを求める。(同)

 

いい言葉でしょう?

日本人の真骨頂です。
自我が「おのずから」を完全に信頼しきらないとこうはなりません。

大自然そのものである自分の根源に一切の疑いをもたず、最も根源において生きるためには心を尽くすことが求められる。そのとおりだと思います。

 

 

日本人のしなやかな覚悟


今日は新しく作った「桜の人モード」で書きます。

昨日の記事で私は、捨て身の覚悟でと書きました。大袈裟に言えば死の覚悟ですが、日本に連綿と受け継がれてきた文化には、「思いきる覚悟」「美しく散る覚悟」「いさぎよい覚悟」「あきらめの覚悟」などいろいろとあって、一つの真理として「覚悟のすがた」を限定せず、しなやかに使いわけてきたのが日本人だと思うんですね。

『葉隠』、『平家物語』、本居宣長の“もののあはれ論”などから引いてくればきりがないほどさまざまな覚悟のすがたがある。この覚悟を体現している人は現代日本にもたくさんいると思うのですが、なかなか目立つところには出てきません。

とても大切な気構えだと思うんですよねえ。

 

以下、高見順(詩人 1907-1965) の『帰る旅』から引用します。

 

この旅は自然に帰る旅である

帰るところのある旅だから楽しくなくてはならないのだ

もうじき土に戻れるのだ

 

この詩は彼が癌を患い余命いくばくもないなかで書かれたものです。
ここには見事に「あきらめの覚悟」がある。つづきにこうあります。

 

大地に帰る死を悲しんではいけない

肉体とともに精神も わが家に帰れるのである

ともすれば悲しみがちだった精神も

おだやかに地下で眠れるのである

 

宗教的概念の「天国」や「極楽浄土」ではなく、大地に帰ると言っています。大地がわが家という感覚がいいですよねえ。意味として客観的に、「土に還る」という感覚に置き換えられないこともないですが、詩的には主観的に、私は「帰る」と、また「戻る」ということでしょう。そう書かれているからこそ心に響いてくるのだと思います。

物質世界の科学的感覚が現代文化の主流になっていますが、日本人のこうした「自然から生まれてきて自然へとまた帰る」という思想、おだやかに地下で眠れる精神という表現は、なんとなく私たちの心に、『おだやかな覚悟』を芽生えさせてくれるような気がします。

 

年初新春に桜花の心。

 

 

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