今回のシリーズで、リベラリズムについての要点をある程度はあきらかにすることができたと思う。しかし、遠く2500年前の古代ギリシア時代に淵源をもつ、リベラリズムの歴史における深淵の一端をうかがえたに過ぎない。本格的な独自考察は今後じっくりと進めるつもりです。ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』、アイザィア・バーリンの『自由論』、ジョン・ロールズの『正義論』、マイケル・サンデルの共同体主義からのリベラリズム批判などを中心に関連著書を味読し、新しいリベラリズム構想のヒントとしたい。
本稿ではここまでの理解を整理し見解を概括しておくことにします。
■ リベラリズムの四原則
1.公正としての正義秩序を社会に構築し、その中で個人の自由を最大化する。
2.多様な個性、文化、思想をもつ人々が共存できる社会を目指す。
3.自律した個人主義に基づく成熟した共同体を形成する。
4.固着した価値観に囚われず、人間の理性の力を信じ社会を変革してゆく。
■ リベラリズムの陥穽
1.公正が独善となって社会圧力が強まり、全体主義的に価値一元化した正義になることがあり得る。
2.道徳と正義公正の衝突、道徳と多様性の衝突、表現の自由と人権の衝突、人類が築いてきた制度と自由権の衝突、これらが起こった場合にリベラリズムを原理主義的に振りかざせば、悪や不公正、逆差別が勝利することになりかねない。
3.進歩主義の変革による結果が国民や人類にとって善となるとは限らず、不幸で悪となる可能性が十分にある。
4.国家の伝統や文化慣習が次々に破壊され、歴史の重みのない浅薄な国柄になってしまう。
5.現代日本の現状では自律を欲する人は少数派であり、しかも自律可能な人はわずか一部である。大多数の人々は宗教を含め他律に依存することを欲する。他律をも多様性として内包できることがリベラリズムではないか。
6.寛容は不寛容を寛容できない(寛容のパラドックス)。もし排他主義や差別主義的な者を多様性として寛容すればその者たちはやり放題となり、しかも排他的に外部に敵をこしらえ内部求心力を高めるのであるから、強力で横暴な勢力となるのは現代を鑑みても、或いは歴史が示すところを鑑みても自明である。
■ リベラリズムの欠陥回避
1.リベラリズムを原理主義的に扱うことを避ける。他の社会善的価値と衝突した際には全体性のバランスを考慮し折れるところは折れ、主張が先鋭化しないように抑制する。急進的で硬直的な変革ではなく柔軟で緩やかに、時間をかけた厚みのある変革を目指す。
2.リベラリズムの主義主張を他者や社会に押しつけない。メディアや社会がそうした空気を作って国民に圧力をかけることは個人の自由意思と意志決定の自由を阻害する。それは社会からの他律により人を動かそうとするものであって、リベラリズムの思想とは逆行する。個人の内発的自律がすべてだとする。
3.多様性や寛容を主張しない。成熟した個人主義の資質としてみずからが内的に多様であることを理解し、自分の個性の自由を他者や社会へ向けて主張するのであるから、他者の個人主義的多様性を認めることや寛容の精神は内包できる。共同体における他者関係の公正性がこれを支える。
4.リベラリズム的価値を固定化しない。善悪観や正義概念は時代と共に移り変わってゆくものであることを忘れずに、価値を普遍的に固定化しようとせず、次世代を築いてゆく人たちに新しい価値創造を委ねる勇気をもつ。次世代を担う人たちもこの精神を承継してゆく。
5.ケースによってはリベラリズムを否定する。原理主義的に扱わないことによって生じる不利益はリベラリズムの論理一貫性を欠くところにある。一貫性を欠くことよりも大きな不利益が生じる可能性が予測できるときには、人間的な総合判断によって一貫性を欠くことをためらわない。
以上が今回のシリーズにおけるリベラリズムの概括です。
欠陥回避の方法を私になりに考察してみましたが、寛容のパラドックスや他律を望む人はどうなのかなどの課題はそのまま残ってしまいます。すべての課題を超克できる新構想を考えています。今のところその発想は端緒だけですが。
次の記事ではリベラリズムの新しい構想私案の概観を記し最終回とします。