『愛するということ』―2


フロムの愛する技術は、知→尊重→責任→配慮という4要素の流れによるものだった。私は流れではなく、3要素を技術として独立させ考えてみようと思う。

相手をよく知ることは大切だ。しかしよく知らなくても尊重はできるだろう。また、責任についても尊重の範囲内に収まると考える。配慮にかんしては実践であるので単体の要素としたほうが解りやすい。

よって、まず第一に「尊重」を技術としてとらえ、その内容を吟味していく。第二に「配慮」という技術についての吟味。最後に私なりに考えた、愛することに欠くべからざる要素ではないかと思う第三の技術を提示したい。では、「尊重する」から始めていこう。

 

1.尊重する

相手をひとりの人間として捉えるときの価値は、私と同等の価値であることをまず考える。同じひとつの生命であり、私が誕生から死まで多様な人生を歩み生を終えること、それは、相手にも同等の「自分の生の大切さ」があるということを、少しの疑いもなく完全に認めること から尊重は始まる。

私が私の生命と人生がたった一度きりのかけがえのないものと考えることと同じように、相手のそれも相手にとってかけがえのないものである。私が唯一無二の存在であると同じように、相手も唯一無二の存在であり、他の誰かに代替することなどできない人である。このことは、失って初めて気づくことがある。或いは失ってその重みにあらためて気づく。

第一段階の、自分と同等に相手を尊重するという技術は、相手に対峙して磨くものではない。独りで磨くものだ。まず、自分自身がたった一度きりの生を歩む一人の人であるということを脳髄にまで叩きこむ。それには習練が必要だ。これを私は正しい自己愛と定義づける。正しい自己愛ができてこそ、正しい他者愛ができると考える。

第二に、正しく自己を愛するには、正しく自分自身を知らなければならない。自分をよく知るには自分について高い関心を抱かねばならない。この方法は他者にたいしてもそっくりそのまま援用できる。相手に対する高い関心が必要だ。

では自分の、或いは相手の、「何に対して」の関心が必要なのか。ここは重要部分であると思う。尊重に限らずすべての技術において「何に対して」つまり「詳細な対象」は何か。これについては三つの技術の内容をつまびらかにしたのちに書くことにする。既に「対象」は私のロジックの中で細分化され明確になっている。

さて、第三段階の尊重は「信じる」という大きなテーマになる。

真実であること、虚偽ではないことを信じるといった表面的で些細なことではない。むしろ、仮に嘘をつかれてもそんなことでは微動だにしない「信じる」がある。

ひとつは「人間のこころ」そのものを信じる。いや人間に限ったことではない。犬や猫のペットを想像してみてほしい。彼らは人間の言葉を使えないから真偽はわからない。しかし彼らには「こころ」があって、飼い主はその「こころ」を信じてはいないか。一点の曇りもなく全面的に信じてはいないか。ペットの「こころ」を信じることで、ペットの方も飼い主の「こころ」を信じているのではないか。私にはそう思える。否、そうとしか思えない。

科学的な証明はできない。しかし、非言語的に信じることの相互作用は、人間同士にも存在すると私は考えている。

次に、可能性を信じる。自分の可能性を信じることに長ければ、相手の可能性を信じることは自然にできる。何の可能性かについては後述する「対象」に。また、可能性には実現可能性潜在可能性とがあり、これは先日のコラム【可能性主義論を提唱する準備として】に書いたとおり。

ひとつめの技能「尊重する」だけでも、以上のように範囲は広い。今考えつくままに書いたものであるので、他の尊重もあるにちがいない。

尊重するという態度は技術として磨くことができる。

 

次の稿は、第二の技術「配慮する」について考えてみよう。

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