メロディー創作


哲学ばかりやっていると、つまり、情緒を伴わない理性ばかりを使っていると、俺の体に何が起きると思う?心が乾いてくるんだよ。この心が乾く感覚は誰かと共有できるのかな。できないかもしれない。だから俺が「心が乾く」と言ったって誰にもその乾く感覚は共有できないのだと思う。少なくともそのクオリアは他者とは共有できない。

いや、共有どうのこうのはまた頭の理性のみをつかってるじゃないか。

話を変えよう。何の話をしようか。

そう、子どものときにギターを使って作曲をしていた話なんかどうかな。他人が描く俺のイメージに合わないかもしれないが、まあ、イメージ壊してすまん。許せ。確か小学校1年生まではピアノの教室へ行かされていて音楽には早くから接していたんだな。でも女の子ばかりのなかで習うことが恥ずかしくなってやめちゃった。言っとくけど俺の両親は借家暮らしで母が美容院をやっていて父はそれを手伝っていて、そんな裕福でもなくお坊ちゃんでもなかった。母が芸術の方向へ俺を向けたかったみたい。当時のピアノの月謝は安かったようだしね。

前置きが長いっちゅうねん。

ギターはコードの進行ができれば、ギターが弾けるって言えるのかも。だから最初にコードを覚えていったわけね。で、その子どもの頃のコードの印象は、いまだに自分のなかにカラーのクオリアとして残ってる。それを書いてみよう。

Cコードはホワイト、Dコードはイエロー、Eコードはグリーン、Fコードはブルー、Gコードはブラウン、Aコードはレッド、Bコードはバイオレット。

メジャーコードは鮮やかなカラーで、マイナーコードは黒を混ぜた感じになるかな。そんなカラーのイメージが俺にはあって、作曲で好きだったコードは、メインがB-minor(青めのバイオレット)でサブがE-minor(濃いグリーン)の感じ。そこからA-major(ビビッドな赤)に転調したりね。フランス映画のテーマソングに使われていた、B-minorのメロディーに全身が痺れる感動の原体験があったんだ。

だからね、例えば、C-majorとF-majorで構成されるハ長調の曲なんかは、ホワイトとブルーの明るく爽やかなクオリアが私にはある。そこにアクセントでG-7の焦げ茶が混ざったりね。

作曲で特に意識していたのは、大自然の情景。たとえばロシアの広大な大地に降る雪と針葉樹林、深くどこまでも透き通ったバイカル湖の湖面、その感じをメロディー化した。或いはドイツのライン川をモティーフにワインレッドのイメージの曲を創ったり、中東の砂漠とアラビアンナイトをモティーフにイエローとバイオレットのイメージの曲を創ったり。現地には行ったことないけれど、旅行代理店へ行き(笑)、パンフレットをもらってきてイメージを膨らませてた。行ったら行ったでイメージが壊れるから行かないほうがよいのかもね。小説が実写化されてがっかりするときがあるよね。小説は小説のままで、みたいな。初恋の人には大人になって二度と会わずにイメージそのままにとか。あ、これは少しちゃうか(笑)

作曲はまったくの自己満足で、歌詞もないし、誰かに聞いてもらうこともない。でも、たしか中学の音楽の授業で生徒に作曲の宿題が出て、そのときは歌詞も付けた。音楽の先生が授業中にクラスのみんなの前で、俺の作ったB-minor調の単純な楽譜をピアノでめちゃめちゃアレンジして壮大に演奏したもんだから、みんなぽかんとしてた。「え?え?」って感じに驚かせることができておもしろかった。作曲した曲は山ほどあったけれど他の人に表現したのはそのとき一回こっきり。

時間があれば、ギターを買ってきて数十年ぶりに作曲してみるのもいいかな。

自動生成AIにやってもらえばきっといい曲ができるんだろうけど、創作するよろこびはそれとは違うしね。作曲を自分でやって編曲を音楽系AIにやってもらうといいかもしれない。

今日は夜の感性モードの話を書いて少しは俺の心の乾きを湿らせることができたかな。本当はね、日本の悲哀の情緒について書ければ、体中にあふれるくらいの水分でいっぱいになるんだけどさ。思い浮かんだのが音楽のほうだったから。情緒的なお話を書くのはまたこんどね。

 

 

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