山紫水明


風に夏の終わりを感じ始める。古典文学を見れば一目瞭然だが、日本人は大自然と親和的であり心を重ねる文化がある。

風流という言葉がある。語源は中国語で「古代美風・伝流」で美しい風のような人間の情操や行動の立派さを表すものとのこと。そこから語義が変転し、雅やかで俗っぽくないことを言うようになったという。風雅。

私は大自然の中に風流を感じることがある。秋は特に。

ところで。

子どもたちが哲学的探究心によって、例えば「考えるってどういうこと?」を自分の頭で考えられるような、そういう物語を創作することについて、8月8日の断想記事『物語化』と8月12日の断想記事『神話』に書いた。神話のような世界観にしようと考えているが、そこに大自然の花鳥風月や山紫水明の雰囲気を加えたいと思う。主人公の子どもが神々に会いに行く、その道程には大自然の情景。

いわゆる純文学のように、人間の内面における自己対話を描いたり、主人公の繊細な心情を読者の心のひだに絡めるような感性と文章力は私にはない。志向の指向が内向へ向く人ならば、心の内面の動きを描くことは得意なのだろうけれど、私はあいにく外向的であるから難しい。他方、例えば宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のようなファンタジーの世界観を描くことはできる。楽しい。

花鳥風月や山紫水明の”感じ”は、日本らしくていいんじゃないかと思う。この物語コンテンツをインターネット上のどこに公開するのかは全然未定なんだけども、言語は英語でいこうと計画している。英語の次はスペイン語フランス語と中国簡体字。日本語はそのあとにしようと。もちろん原文は日本語で創作し、それを英訳するわけだけどね。

物語化構想のほうも、並行していい感じになってきた。

 

 

TOP