価値観の矛盾性


8月2日の断想で『価値観の現象学的性質』について書いた。このとき、はっとした。価値観の矛盾性に。と同時に、価値観という言葉を使う際に気を付けねばならないことに気づいた。価値観そのもの(人間に内在するものではなく)と、人間または人間集団に内在する価値観は分けるということがある。価値観の現象学的性質とは、価値観そのものの性質を考えたはずが、後者の、人間プラス価値観(一体)との区別が明確にできていなかった。これについては細かく、明確に分けねば哲学にはならない。少し考える時間が必要なので、次の断想に譲ろう。

価値観の矛盾性は、ひとつの価値観そのものには無い。二つ以上の価値観が存在するとき、相反する価値観は当然あるが、それは矛盾とは言わない。矛盾は、人間または人間集団と価値観が一体となる場合に生じる。Aという価値観とBという価値観の二つが一個人に存在する場合に、AとBの対象が重なり合うとき、価値観の相克が起きる。法的価値観と個人の功利的価値観がそうであるし、最も単純なケースとして感情的価値観と理性的価値観が挙げられる。相克が起きやすい。

では、矛盾が起きないほうが良いのだろうか。矛盾は悪いことなのか。

個人的な信念ではあるが、私は、矛盾は起きたほうが良いと確信している。自己矛盾は歓迎すべきであると思っている。ただしこれは哲学ではなく個人的な人生美学にあたるので、ここでは、哲学として、矛盾が起きて良くも悪くもなく、無矛盾が良いわけでも悪いわけでもないとする。

矛盾を避け、常に整合性をとる方向に人間は向かいがちである。それは人間の原初的価値観に、習慣性がとっさの判断に役に立つことが生物としてのDNAに刻み込まれているからなのかもしれない。それは生物学や遺伝学といった科学の領域であるので、哲学としては、現象的心理学の推測は行わない。

今回は、価値観の矛盾性についての入り口付近での議論でしかないが、まあ、断想は「考えること」なので、これでいい。

 

 

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