「日本人」の個性(7)忍ぶー3


前の記事までは「忍ぶ」という概念を思考的に分析した。今回は、芥川龍之介の短編小説『手巾』に描かれている「しのぶ」の概念に接し、感覚的および感情的に感じてみよう。なお本作には「しのぶ」も「忍ぶ」も、一文字もない。

本作は著作権が切れており、あおぞら文庫に収録されているからインターネット上で誰でも読める。以下に、私流にあらすじを簡略して書くけれども、原作にあたるかたは十分足らずで完読できるはず。「忍ぶ」に関連する部分は原文を引用する。

 


長谷川先生は東京帝国法科大学の教授である。米国留学中にアメリカ人女性と結婚し欧州での生活経験もある。今は夫婦で日本に住んでいるが子どもはいない。夫人は日本の伝統に好意と興味を強くもっている。

ある日、長谷川先生の自宅に、一人の四十代と思える女性が訪ねてきた。名刺には西山篤子とあるが以前に会った記憶はない。彼女は長谷川先生に自己紹介をする。先生に現在教えてもらっている生徒の母ということだった。先生は彼女の子息が西山憲一郎君だと理解した。憲一郎君は、腹膜炎にかかって入院していたはずだ。見舞いに行ったこともある。しばらく連絡がなかったが、快癒したのだろうと思っていた。

先生は憲一郎君の容態について尋ねる。すると母である婦人は「はい」と応えながら、訪問した趣旨を切り出す。

「実は、今日もせがれの事で上つたのでございますが、あれもとうとう、いけませんでございました。在生中は、いろいろ先生に御厄介になりまして……病院に居りました間も、よくあれがおうはさなど致したものでございますから、お忙しからうとは存じましたが、お知らせかたがた、お礼を申上げようと思ひまして……」

先生は驚いた。しかし冷静を保ちながら婦人と対話を交わしていく。一週間前に憲一郎君は息を引き取り、昨日が初七日だったそうだ。

婦人と対話を交わしながら、妙なことに先生は気づく。

こんな対話を交換してゐる間に、先生は、意外な事実に気がついた。それは、この婦人の態度なり、挙措きよそなりが、少しも自分の息子の死を、語つてゐるらしくないと云ふ事である。眼には、涙もたまつてゐない。声も、平生の通りである。その上、口角には、微笑さへ浮んでゐる。これで、話を聞かずに、外貌だけ見てゐるとしたら、誰でも、この婦人は、家常茶飯事を語つてゐるとしか、思はなかつたのに相違ない。――先生には、これが不思議であつた。

婦人の態度は平静を保っており、ときおり笑みさえ浮かべる。息子の死に対し客観的に、まるで日常のことを語っているような振る舞いなのである。海外生活の長かった先生の体験上、外国人は身内の不幸はもとより国家元首が亡くなってもぼろぼろと涙を流して泣くのに、なぜこの婦人は泣かずに、しかもときには笑みさえ浮かべるのだろうかと不思議がった。

そうこうしているうちに、先生は手にしていた団扇を床に落としてしまい、それを拾おうとする。そのときふと婦人のほうを見る。

その時、先生の眼には、偶然、婦人の膝が見えた。膝の上には、手巾を持つた手が、のつてゐる。勿論これだけでは、発見でも何でもない。が、同時に、先生は、婦人の手が、はげしく、ふるへてゐるのに気がついた。ふるへながら、それが感情の激動を強ひて抑へようとするせゐか、膝の上の手巾を、両手で裂かないばかりにかたく、握つてゐるのに気がついた。さうして、最後に、皺くちやになつた絹の手巾が、しなやかな指の間で、さながら微風にでもふかれてゐるやうに、ぬひとりのあるふちを動かしてゐるのに気がついた。――婦人は、顔でこそ笑つてゐたが、実はさつきから、全身で泣いてゐたのである。

先生は見てはならぬものを見てしまったという敬虔な気持ちと、不思議だった婦人の態度についてようやく理解できたという気持ちがあいまって、複雑な心境だった。婦人に、感情移入する言葉がようやく先生の口から出る。

しかし婦人は最後までその態度を崩さない。

「有難うございます。が、今更、何と申しましても、かへらない事でございますから……」
 婦人は、心もち頭を下げた。晴々した顔には、依然として、ゆたかな微笑が、たたへてゐる。

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その日の夕食時に、この出来事を先生はアメリカ人の妻に話した。妻は、それはまさに女の武士道の態度だと絶賛した。先生も満足げであった。

ある日のこと、先生は研究しているスウェーデンの劇作家の本にあった一文に引き寄せられる。そこには、外国人の婦人が、顔では微笑みながら手の中のハンカチを引き裂くようなしぐさを相手に見せている、そうした二重の演技についての批判が書かれていた。もちろんこの婦人の意図は、自分の怒りや悔しさを相手に見せつけようとしているのだろう。

西山婦人の、悲しみを隠し笑みさえ浮かべ気丈に振舞いつつ、相手には見えないところで震える手でハンカチを握りしめる所作と、上記の外国人婦人のハンカチを引き裂こうと見せつける所作と、どちらが道徳的だとかということは関係ない。これはどういうことだろうかと、先生は現象を抽象化しようとする。先生の心は少し乱され、思いに耽る。


 

拙い私のあらすじ書きについてはご勘弁いただくとして、「忍ぶ」という日本文化をよく感じられる小説だと思えるがどうだろうか。私には日本文化の「忍ぶ」を奨励したり啓蒙したりするつもりは一切ない。特に、本作では女性を題材に「忍ぶ」を扱っているが、日本人男性にも「忍ぶ」に美学を感じ実践している人も少なくないと思う。但し、現代では感情を表に出す欧米感覚の戦後文化が広まっていることもあり、「忍ぶ」ことに生きかたの美学を感じる日本人若年層はもしかしたらほぼゼロなのかもしれない。

しかし、こうして「忍ぶ」という古い日本人美学に接してみると、自然に私の心は潤う。そこに理屈はない。

最後の部分では、先生の、現象の抽象化について考えこむ複雑な心境に読者の共感をうながし、これはどういうことだろうか、このことをどのように整理したら良いのだろうかと考えさせられる工夫がある。

短編ではあるが、心に響く良い作品だと思う。

 

 

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