現代価値に対する漫画からの問題提起


 

遊ぶ子モード

今日は軽い話題から。

週刊少年ジャンプに今年から連載されている、『ぼくたちは勉強ができない』という漫画について、おもしろいので書きます。

唯我成幸を主人公に、緒方理珠、古橋文乃、武元うるかの3人がヒロイン。

全員が同じ高校の3年生で大学受験を控えている。理珠は理系の天才で理系科目は常に100点満点。ところが国語がめっぽう出来なくて0点に近い。文乃は理珠とは逆で文系の天才、しかし数学にめっぽう弱く0点に近い。秀才の成幸は理系文系両方の科目でこの二人の壁に阻まれ一番にはなれない。

こうした状況で、理珠は文系の大学学部を希望する。心理学に興味があるようだ。文乃は理系の大学学部を希望する。天文学に興味があるようだ。つまりこの二人は、現状で合格する見込みがゼロに近い。

家が貧乏で特待生を希望する成幸は、校長から、この二人のアドバイザー役を頼まれる。高校としては有名な大学へ入学できた秀才を育てたという実績が欲しいからだ。理珠には文系を断念することを、文乃には理系を断念することを、学校側としては画策しているという裏の事情がある。

既に、何人かがこの提案を受けて、理珠と文乃の指導に当たったが、苦手分野の克服はもちろんできず、得意分野の学部を受験する方向へ彼女たちの意志を向かわせることにも失敗している。

武元うるかは成幸の幼馴染で体育系が抜群の水泳部所属。ただし理系も文系もほとんどだめ。しかし校長は、成幸にうるかの教育係をまたもや命じるのだった。

成幸は理珠と文乃、うるかの希望を叶える方向で、勉強のサポートをしていく。

そうしているうちに、3人の女子が成幸の誠実性を核とした人柄に好意をもっていくという筋書き。近作ではベタなラブコメもようが中心となってゆく感じで、ちょっと惜しい。同様の、一人の男性を複数の女性が好きになる展開は、『ゆらぎ荘の幽奈さん』や新連載の『腹ペコのマリー』にも見られるし、長期連載終了した『ニセコイ』もそうだった。ありきたりの展開になれば連載終了は早いかもしれない。

 

さて、長々とあらすじを説明して、もう私自身おなかいっぱい状態なのですが、この漫画は現代価値に対する問題提起として好例になるのではないかと思っています。

一般的に、両親や担任教師は、その子どもの得意とする分野、才能を感じる分野、他者から高い評価を受けている分野に進ませようとしますよね?

「あなたはこの長所を生かす道に進んだ方がいいね」だとか、この才能が伸びればノーベル賞も夢じゃない、大リーグも夢じゃないだとか、有名大学に入学し、いろんな人から子どもが褒められれば(内心で「私が育てたからよ」)的に、親が嬉しいということもあるわけです。

高い評価を受ける能力を生かせれば、その子が社会人として食っていくのも楽だろうという親心もありそうです。

 

しかし、当の子どもたちは、大人のそうした「功利主義」「損得勘定」「打算」に染まらずに(高校生ともなれば大人の価値観に染まってしまう子どもも多いですが)、自分の興味、好奇心がわく分野、不得意でも好きな分野に向かいたいという子も少なからずいると思います。

翻って、私たちはどうでしょうか?

あなたはどうですか?

自分の長所を生かしたい、得意な道へ進みたい、お金になる道へ進みたい、他者から高い評価を受けている分野で活躍したい、という意識を優先している人がほとんどではないでしょうか?

よく考えてみればわかるのですが、これらはすべて、他者(自分の外部)が軸になっています。

自分自身が軸になっていない。

 

例えば、芸術の道へ進みたい、デザインの道へ進みたいと言っても、その道のみでは90%以上の人が食べていけないのですが、貧しい家庭で育った子どもがその道を希望するとき、さて、もしあなたがサポーター役だったらどうしますか?

とても難しい問題ではあります。

どの価値観を優先すべきか。

単純に、自分軸が他人軸よりも良いと断定はできない。

ありきたりの言いかたで言えば、本人たちが幸せになる道ならばそれが一番と。

では、そう答えた後に、本人の幸せってなんですか? と問われたらどう答えましょうか?

 

少なくとも、ある程度の人生経験を積んだ大人ならば、5年10年のまわり道となったとしても、まわり道を経験した方がその子の人生全体にとっては良いのではないかと考えると思います。まあ、私なんかは人生全部がまわり道で、直截に目的に向かえる道を死ぬまで知らずに人生を終えそうですが(苦笑)

好きな道を進む自由には、険しい断崖や厳しい寒さ、恐ろしい外敵が立ちはだかります。

我が子が断崖から落ちて死んでも後悔せず、かえってその子を誇りに思える親でいられるかどうか。どうでしょう?

自分が自由に生きて勝手に死んで、もし家族がいて、残された家族の気持ちは関係ないと言えてしまえるのかどうか?

 

たかが漫画かもしれませんし、漫画であるからああいう設定が可能だとも言えます。けれど、視点をいろいろ変えてみたり価値観をさぐっていくと、現実へ連想がおよぶ哲学になるケースもけっこうあるのです。

過去のジャンプで言えば『暗殺教室』や『トリコ』には(他にもあります)、現代価値に対する問題提起や哲学が垣間見えました。

『ぼくたちは勉強ができない』も、現代価値に対する問題提起的な作品に成長させることが出来るかどうか、作者の力量に期待したいところです。