『日本』という個性(1)


 

桜の人モード

寒さには弱いけれど暑さには強いと自信をもっている私ですが、一昨日と昨日の暑さにはわずかに頭痛も覚え、体から熱さが引いていかない自覚があって、ムムムと思っていたのですが、久しぶりに昨夜から今日にかけて13時間ほど睡眠を摂ってスッキリしました。我ながらよく眠ります。悪い奴ほどよく眠るらしいし。

 

さて。

「多様性を認める地球人類」というテーマが、一部の人たちにとっては目標化されていますが、それに反発しているのが世界的に起こっているナショナリズムへの揺り戻しです。

多様性=ダイバーシティという「一つの目標」は、その目標の画一化をもって多様性を拒否するという、別面でのパラドックスを抱え込みます。未だに日本にもいる欧米文化信奉者は、「日本は遅れている」と日本文化を相対化し、欧米文化のほうが遅れているのかもしれないとの想像を可能性の範疇に置きません。

そもそも「遅れている」や、「ついていけてない」という価値判断は完全な他律であって、しっかりした自律の足場を確立していない未熟性から生まれる判断がほとんどだと思います。欧米の方が優れているかもしれないという価値判断は良いのです。見習うべきは見習って昇華していくことは大切です。しかし相対価値化したことを忘れ絶対価値として妄信し、「日本は遅れている」などというのは、その人の浅薄な判断だと少し考えればわかるはずですよね。何も焦ることも卑下することもない。これは人生一般についても言えることだと思います。

 

地球レベルでダイバーシティの画一化が言われている今こそ、『日本』という個性が活きる時代なのだと考えます。ただそれは、政府のやっている「クールジャパン」という薄っぺらな形式を広めることではなく、日本国民である私たちのこころのなかに、『日本』という個性をもう一度、宿し直すことではないでしょうか。『日本』という国柄にではなく、ひとりひとりの『日本人』の人柄に、誇りと言っては大げさかもしれませんが、アイデンティティを確立していくことが自律であり、ひいては、世界で『日本』という個性を活かせることにつながるのではないかとも思います。

 

以下、西尾幹二さんのブログから引用します。

 

若い人に期待するのは日本の歴史を取り戻すことです。今、日本の歴史は正当に語られることがなく、ほとんど消えかかっています。しかしだからといって徒らに日本の良さを主張すればよいということではありません。日本を外から眺めることがまず大事です。若いうちに外国で暮して下さい。進んで留学して下さい。

 外から日本を眺めると、他の外国でどこでも普通にやっていることが日本にだけない、というようなことが数多くあることにきっと気がつくでしょう。だから、そこだけ外国に学び、真似すればそれでよい、ということではありません。むしろ逆です。外国からは学ぶことのできないもの、どうしても真似することができないものが確実に存在します。それは何か、日本の歴史の中にさぐり、発見し、そこを基盤にもう一度日本を外から見直して下さい。そうすれば日本の欠陥も、長所や特徴もより明確に分るようになるでしょう。

 外からと内からのこうした往復運動を繰り返して下さい。貴方はきっと歴史を知ることが自分を知ることと同じだということに気がつくようになるでしょう。

『西尾幹二のインターネット日録』 七月七日の記事「若い人への言葉」より)

 

西尾さんはニーチェにかんする日本での第一人者といえるドイツ哲学研究家であり、断片的にですが幾つかの書物を通じてさまざまなことを私に教えてくださっている恩人です。価値観について共感するところが多く、西尾さんの文章に接すると心が落ち着きます。

最近、お体の状態があまり良くないのではと心配するなかで投稿された「若い人への言葉」は、私には、日本を愛し未来の日本を憂う西尾さんの、たましいからの叫びのように聞こえました。

「日本の歴史を取り戻すこと」というのは、「真実の日本の歴史はこうだ」と主張することではなく、「歴史のある日本の良さを外に向けて誇る」ということでもありません。

日本にだけしかないもの、外国からはどうしても真似できないもの、そうしたものを、日本の歴史の中から掘り起こし、まさに『日本』という個性に気づくことなのだと思います。

 

遠く離れた外国から日本を眺めること。

私には観光旅行でしか経験がありませんが、その際にヨーロッパから眺めた日本の「感じ」は、世界地図の右端に細く存在している小さな国のなかで、ごくつまらない現実に右往左往しながら忙しく蠢いている日本人、欧米化が先進的だと信じる日本人、しかし本当の欧米文化ではなくマスメディアによって脚色された欧米、つまり歪曲された欧米文化(例えばジェンダーに関する感覚など)を本当の欧米文化だと妄信してしまっている日本人、欧米には無い深みのある和の文化に誇りをもたずかえって卑下し、無くそうとまで思っている日本人、言葉は悪いですが「井の中の蛙、大海を知らず」を、自分自身の内省として感じることが多々ありました。日本人のひとりとして。

地球を外から眺めることはなかなかできませんが、日本を外から眺めることは案外容易くなった時代です。空想でも同じではないかと思うかもしれませんが、自分がヨーロッパにいる現実感は、「旅行中にたまたま事故か病気で、この地で死に、日本という地に二度と還らないかもしれない」という心境とともにあります。日本国内にいては、「祖国」を感じようとしてもなかなか感じられないのではないでしょうか。

若い人はとにかく若いうちに冒険すべきです。

西尾さんが仰っているとおり、日本を外から眺めることと、日本の歴史文化を掘り下げることの反復は、価値観の遠近法として、価値のなかのマッチングによる閃きとして、新たな価値創造の土台づくりとして優れた方法だと思います。